由来


■創立
法幢寺は本年から440年前1576年(天正四年)織田信長の時代、知泉和尚の開かれた寺で、象田山法幢寺と称し、曹洞宗に属し聖観世音菩薩を本尊としております。その後、70年、1645年(正保二年)徳川三代家光の時代、有渡郡小坂安養寺六世解門和尚が諸堂を再建し、法地起立されたので、この方を御開山としております。よって本寺は、安養寺で、末寺は同町内の長沼山久應院一箇寺です。

■移転
二世連国和尚の1721年(享保六年)徳川八代吉宗時代に従来の土地(今の墓地)が人家と隔絶して不都合につき、諸堂を現在の境内に移転されました。1854年(安政元年)の震災によって諸堂皆潰したが、安政三年十八世活宗和尚庫裡を再築、明治6年廿三世秀教和尚の時、静岡浅間神社の護摩堂の一つを払い下げて貰い本堂とした。

■本堂復興
その後、歴代住職が相つぎ復興計画をしたが、実現に至らず、実に100年にして廿七世義演和尚の代、1967年(昭和42年)鉄筋コンクリート造りの本堂が完成、建築面積69.69坪、庫裡は木造平屋建て44.10坪、設計は清水二三男氏、施工は甲賀建設株式会社です。昭和63年には新しい客殿、庫裡が建設されました。境内には、この外、六地蔵堂、鎮守堂、物置等あり、敷地面積は約500坪ありました。今回の「東静岡周辺地区土地区画整理事業」で21.9%の減歩(110坪)で、現在借地権解消分も含め、敷地面積は約430坪です。平成18年、新本堂、客殿完成、落慶。

■古記録伝承
かつては山門、衆寮、鐘楼が有り、梵鐘には享保二十年三月鋳造の銘がありましたが、戦時中、昭和17年供出しました。その拓本、写真等は寺に保存してあります。

■観音霊場
本尊聖観世音菩薩は秩父西国第24番札所となっています。ご詠歌に、「天照神のははその色かえてなおもふりぬる雪の白山」とあります。富士山を背景に札所参りの巡礼者が杖をつく姿が江戸時代後期には、たびたび見られたことでしょう