令和四年 法幢寺 春彼岸会法話

今日は、春の彼岸明けです。 先日お中日に、彼岸会法要をお勤めしました。
その時の法話です。
「中庸と中道の違いとは?」
今日は、お中日、春分の日。   我が国では、春と秋の二回、お中日を挟んで前後3日づつ、お彼岸の1週間があります。
春の彼岸になると、草花がどこからともなくいっせいに咲き、自然の営みに感動します。昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と申しますように、寒さも遠のき、ほんとうに春の陽気を肌で感じる心地よい季節となりました。
この彼岸週間の真ん中の日、彼岸の中日、つまり春分の日は、ご存じの通り昼と夜の長さがまったく同じです。 これは、太陽が真東から昇り、真西に沈むからです。 このことから中道を標榜する仏教の教えと宇宙の営みが相通ずるとして、各宗がこぞって仏教行事を行う大切な日となっています。 しかし、これはインドや中国にはない、我が国日本固有のものです。 陰陽五行では青龍、白虎といい、太陽の昇る東は龍、日が沈む西は虎。 つまり龍虎は、太陽の道でもあります。 仏として、薬師如来や十一面観音菩薩が東をつかさどり、阿弥陀如来が西方浄土を持つ。 日本の母山である比叡山・比良山がある琵琶湖西岸には、東からなにもさえぎるものがなく昇って来る太陽を拝むようにして、十一面観音を本尊様としたお寺がずらずら並ぶ。  仏様も方位によって、役目が違うところが面白い。
昼夜半々、宇宙的にもバランスの取れたお彼岸の時期、中道という仏教の教えは、中庸という、丁度いい加減、とは違います。
例えば、今日のお風呂の湯は、熱すぎず、ぬるすぎず、丁度いい加減の湯ですね、というのは中庸の考え方。  両極端は避けて、苦しみや楽からも離れて、程よい真ん中の道を行きなさい、というのが中庸。 常に、A-Bの真ん中を指す言葉です。 つまりバランス感覚ですね。これは生きてく上で、大事な事です。
仏教でいう「中道」の教えは、真ん中だと捉えられることが多いですが、真ん中ではありません。 その場その場でベストな選択をする事を指します。  
例えば、あなたのギターに6弦あったとすると、6弦目が一番太く、1弦が一番細い。それぞれの弦の太さによって音色が違う。 それぞれテンションが違うし、丁度いい張りがある。  弦楽器の弦の張り具合、音色は、一本一本全部違う。   
つまり、人に置き換えてみると、その人それぞれにあった歩みがある。 人それぞれ歩みが違う。 絶対これでなくてはいけない、というのはなく、その人にあった方法、歩みでよし、そして、 その時その時でベストな、適した選択をして歩みなさい、それが「中道」「八正道」の教えです。 ベスト、最適な選択とは、自分の為にもなり、相手、周りの人の為にもなる、自利利他の精神、つまり皆がwin-winになるような選択です。核となるのは、「愛・慈愛に基づいて、お互いに成長し続ける」という思考です。それが、喜びとなり、揺るぎない幸せとなります。 お金・地位・家・健康・結婚・子供等は、あくまで成長の為のツール、アイテムであり、人生の目的でありません。
執着を離れ、とらわれなく、無心の境地で自分に合った道で、愛・慈愛に基づいて成長・探求し続けることこそ、人は喜びと幸せを感じることができます。
お釈迦様は、ベストな選択ができるようになるには、「八正道」の実践をするとよい、と説きます。
しかし、「そもそも正しい道とは?」と感じた方もいるかもしれません。
正しいということを、「偏らない」と表現しているところもありましたが、自分の感情・欲望に支配されないものの見方や行動が正しいと言えます。  つまり、偏ったり、とらわれたりしていると、ベストな選択はできませんよね。
今日のお中日、あなたはどんな選択をして一日を過ごしますか?
世界が平和でありますように! 皆さまにとって笑顔の多い一日でありますように!
 
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