令和3年秋 彼岸会法話  彼岸の意義

 もうすぐ秋のお彼岸です。 我が国では、春と秋の二回、お彼岸の週間があります。  秋の彼岸になると、彼岸花(曼珠沙華)がどこからともなくいっせいに咲き、自然の営みに感動します。昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と申しますように、暑さも遠のき、ほんとうに秋を肌で感じる心地よい季節となります。 

 この彼岸週間の真ん中の日、彼岸の中日、つまり秋分の日は、ご存じの通り昼と夜の長さがまったく同じです。これは、太陽が真東から昇り、真西に沈むからです。このことから中道を標榜する仏教の教えと宇宙の営みが相通ずるとして、各宗がこぞって仏教行事を行う大切な日となっています。しかし、これはインドや中国にはない、我が国日本固有のものです。

 それでは、お彼岸とはいったいどんな意味があるのでしょうか。

これは、読んで字のごとく「かなた」「あちらの岸」ということです。彼岸と反対の「こなた」「こちらの岸」を「此岸(しがん)」といいます。此岸は現実の世界です。迷いの世界、煩悩の世界です。この煩悩の世界に対してあちらの岸彼岸は、悟りの世界です。

 そこで、迷いの現実の世界である此岸から、悟りの世界である彼岸へ私たちも渡ることができないものでしょうか。もし、渡ることができるという可能性があるとすれば、どのような条件が必要でしょうか。それは、六つの修行徳目を正しく実践することです。この六つの修行徳目を菩薩の六度、六波羅蜜(ろくはらみつ)といいます。

 これを実践するということは、煩悩のかたまりのような私たちにとっては、決してたやすいことではありません。至難の業です。しかし、実践しようと努めなければなりません。できたできないは別として、実践しようと努めることに意義があり、それがお世話になった先祖や周囲の人々に対しての感謝を態度で表すこと、行事報恩に繋がるのです。「先祖を敬い、亡き人々を偲ぶ」

 

 六波羅蜜(6つの修行徳目)の内容

 

  布施(ふせ)

    ほどこし。財物や金銭を施す「財施」、教えを施す「法施」、安心感を与える

   「無畏施(むいせ)」の三つがあります。

  持戒(じかい)

      いつも戒律を守ること。規則やきまり、ルールやマナーを守ることです。

  忍辱(にんにく)

      忍耐、堪え忍ぶこと。ゆるせない問題もあるが、まずは耐え忍ぶことです。

  精進(しょうじん)

      努力すること。向上心とその実践です。 一歩踏み出して行動に移す。

  禅定(ぜんじょう)

      精神を安定させておくこと。禅定の実践が「坐禅」「立禅」「瞑想法」です。

  智慧(ちえ)

      ものごとを心の目で正しく見極めることです。物知りや博学とは別のものです。

 

 お彼岸は、「6つの修行徳目の実践を再確認する一週間」なのです。この好季節に、自分の生き方を静かに振り返ってみましょう。彼岸にあった人たちと語り合い、お墓参りをして先祖の霊に心から感謝するのもよいでしょう。さわやかな気持ちで秋のお彼岸をお迎え、お過ごし下さい。合掌

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