禅のこころ
最近、スタエフの配信、チャンネル名:地上の星たち(夜明けのトキ)さんの番組で、禅のこころのお話を少しさせて頂きました。 つたない禅の心の説明、また刃物凶器の例え話まで持ち出して大変失礼したわけですが、小生の今までの体験の範囲でお話させていただきます。 禅の心の探求は、一僧侶としてまた一人の人間として、一生涯続くものであり、今現在の私自身の理解、境地であり、参考になるかわかりませんが、一つのヒントとして捉えて頂ければ幸いです。
夜明けのトキさんの番組で、私が言いたかったポイントは、禅の本質は、ただ単に「無」になることではない。 禅は、無念無想の境地を拠り所として、無心の境地で事に当たれ! その核には、慈悲の心がないと、家族や人を幸せや健康にしてくれる料理に使う包丁も、人を刺し殺す凶器にもなるんだよ、というお話でした。 無我の境地で事に当たり、慈悲の心で人生を回していけば、成長、幸せの道が歩める、というのが禅の魅力なのかなと思います。 功法のない宗教は、宗教にはなりえないので、禅にも瞑想法という帰零、身心をリセットする功法があり、至宝の宝だと思います。 具体的には、立禅瞑想、坐禅、歩行禅、仰臥禅、その他公案、問答法があります。
古来から、そして現代でも例えばApple社の創設者、Steve Jobsが禅の心で革新的かつ独創的でシンプルなMac PC, iphone, iMac, iPod などを次々に世に出した創造力の秘密は禅の境地からのひらめき、と言われています。
禅の心って何?と聞かれたら、自由で、柔軟で、創造的こころ、静寂に満ちたあり方、なんの執着、こだわりもない境地が、禅のこころ。 つまり、何のとらわれもない、先入観のない自由自在なこころ、と表現できるかと思います。
少なくとも皆さんが立禅瞑想されて、天地とつながって氣を通している時は、この境地になっているはずです。 禅は「真理を自分の外側に求めるな。 それは自分自身の中にある」と教えます。 まさに瞑想中の氣の流れ、ひらめき、直感的な思考、どれもが全て自身の内側です。 知的理解も大切ですが、体験してこそよくわかるということ。 つまり、知的理解よりも体験、実践に価値を置いている。 実践に勝るものはなし、ですね。 特に禅は氣がわからないと理解するのが難しい分野です。 五体思想、力精氣神識、が根底にあるからです。
先人が遺してくれた智慧、理論、真実、言葉に感謝しながらも、自分自身で実践、体感、体験していかないと本当の意味で自分のものにならないし、自分の人生に活かせない。
仏教はよく端的に言うと、「智慧と慈悲」と言われます。 仏教は唯一宗教の中で、学問体系がしっかりしています。 原始仏教、倶舎論、空論、唯識論、禅、密教、と進化成長発展したのが仏教です。 先人からの智慧は学び、ここに私は、「実践」も加えていくことで前に進めると思います。 おしゃか様も「いくら教えを多く聞き、学んでも、教えを実践し、身をもって体験しなかったら、教えを保つ者とはいえない」(法句経)と厳しくいさめています。 知的理解が不要というわけではないが、知識や理論は体験を伴わないと現実世界の役には全く立たない。 つまり、知識や理論は体験を伴ってこそ、初めて自由に使いこなすことができる。 例えば、立禅瞑想講習会でもツボ・丹田・経絡の話はよくしますし、先人からの智慧で、丹田の重要性もなんとなくわかっていると思います。 しかし、ツボも丹田も日々鍛えていないと、開閉もできないし、大きくならないので、自分のものとして実生活で活用できない、のと同じです。
これからも、過去の成功、失敗、生き方にとらわれることなく、縛られることなく、新たな挑戦をし続けたいと思います。
これからも、心と体が思うように自由自在に使えるように、一緒に楽しみながら探求していきましょう!
愛についてもっと学びたい方、真理について興味のある方は、是非 stand.fm スタエフ: チャンネル名:地上の星たち(夜明けのトキ)さんの番組に遊びに行ってください。 オススメです!